熊本県多良木町に遊びに行こう!
 

多良木町について

熊本県にあります

熊本県は多良木町をご存知でしょうか、と聞いたところで知らないと答える人が非常に多いと思います。地元の人間ならともかく、関東圏内に住んでいる人で熊本に足を運んだことのない人にとっては未開の地ともいっていいでしょう。未知なるところを訪れることでロマンが溢れていると思っている人もいるかと思いますが、熊本県は既に人の居住地域として開発されているので未知というわけではないです。訪れたことがない人にとってはもうどんな感じなのかということも判らないと思いますが、調べてみると意外と歴史が深かったりします。まず始めにこの地域に人という人が住み始めたのはいつごろなのかということですが、その始まりはなんと縄文時代には既に人が暮らしていた痕跡が確認されているのです。まさしく意外性に飛んでいると思いませんか。そんな古代の時代から人が暮らしていることが判明しているこの多良木町ですが、全体的な視点から見た分には田舎という事実を覆すことは出来ないでしょう。地理的な視点から見ても熊本県の中心部である熊本市から70kmも離れているのです。かなり離れていますね、これだけ離れていると都心に行くだけで簡単な旅行が出来そうです。ここに住んでいる若者からすれば一刻も早く都会に出て行きたいと思ってしまいそうな感じですが、田舎には田舎のよさがあるということを出て行ってから気付くなんて例もありますから、一概に田舎が悪いということもないんですけどね。

この多良木町の中央部は人吉盆地の一部に含まれているため比較的盆地となっていますが、それ以外の地域においては九州山地の一部に含まれているため、山間に住んでいる人たちも大勢います。山間に住んでいる人たちは昔から林業を中心として活動していた可能性がある一族かもしれません。林業として栄えていたピークは昭和20年代となっていまして、その頃は木材の集積や加工生産地として賑わいを見せる時期もあったそうです。木材を買い付けるに来る商品が全国から足を運んできたこともあって、その頃は旅館などの施設も十分に用意されて観光地としての色合いも強く示しながら発展していました。しかしそんな状況も木材が不況となったことで、林業はおろか街全体も衰退の一途を辿ることになってしまいました。散々騒がれるだけ騒がれて、最後には結局廃れていくというのは悲しい構図でしかないですね。仕方がないと言えばそうなのかもしれませんが、それでも一時期は賑わいを見せていたということだけは確かな事実といえるでしょう。

のほほんとしています

街の風景としては、昔ながらの日本という言葉がこれでもかとしっくり来る街でしょう。都会に住んでいる人からすれば娯楽施設も限られている場所となっていますが、ここに住むということはよほどのことがない限りは喧騒という騒音とは無縁の生活が送れるかもしれませんね。でも都会に住んでいた人からすればいきなりこの街に住んで色々と生活面がわずらうことになってしまうこともあるかもしれません。ですが、将来は都会ではなく田舎でのライフワークをしながら余生をすごしたいと考えている人にとっては良い場所ではないでしょうか。

多良木町は全体の約80%が山林原野に囲まれているので穏やかというか、ここでもしも子育てをするとなったら子供は野獣のように逞しく成長しそうです。山の中を遊び場として生活していればきっとある意味で逞しい子供へと成長しそうですが、そんな原始的な子育てをしている家庭もいないでしょう。していたらある意味希少価値の高い存在として認識されて、本当に色んな意味で注目を集めてしまいそうです。

山だけではありません、水上村北部に源として流れている球磨川があることで水量も豊富になっていますから、その水が八代海に注ぎ込むことで、水利の便に恵まれていたことで、先ほど話したような林業を中心にして発展していたのです。条件として考えると、この多良木町は農作業を本格的にやりたいと考えている人にとっては最高の環境かもしれません。土地自体も肥沃で温暖多湿の聞こうとなっているので良質なコメを栽培できる他、果樹なども健やかに育てることが可能となっているので、豊富な森林資源の助けを借りながら椎茸などの林産物も数多く栽培されて、市場に出回っています。

こんな環境だったら農作業をじっくりと本業とまでは行かなくても余生の趣味としてやっていきたいと考えている人にとっては、うってつけの環境となっているでしょう。家庭菜園を含めた植物を育てる趣味というのは、やり始めてのめりこんで行くと相当に深みにはまっていくこともあります。私の父も家庭菜園という枠の中で畑を仕事が休みの日にえーんやこーらという風に作業をしています。話を聞いてみると、毎日が土との格闘をしているようだと、作業をしていく中では毎日悩むことがあるといいます。それほど夢中になるようなことをしているわけではありますが、まぁ個人的な趣味だし見守っておこうということで毎日作業をしている姿を見ては感心しています。よっぽど楽しいんだなぁと思いつつ、遠巻きで手伝うという言葉とは縁遠いですが、もしもそんな父がこういう農作業に適しているところに住むようなことになったら、きっと楽しく生活していくのかもしれないですね。

人吉盆地について

先ほど少し取り上げたこの多良木町が人吉盆地に属していると書きましたが、このボンチとはいったい何のことなのかと疑問に思う人がいるかもしれないので、今更ながら補足説明を行なっておきましょう。こちらの盆地は熊本県南部において東西約30km、南北15kmの範囲のことを意味おり、その中に多良木町も含まれているのです、この人吉盆地は別名『球磨盆地』とも呼ばれています。

この盆地は四方を山々に囲まれているので外界から閉ざされた状態となっているので、非常に閉鎖的なイメージという印象を持ってもおかしくないかもしれないでしょう。内陸型気候となっているので昼夜の寒暖の差が激しくて、そのため秋から春に掛けて盆地全体がすっぽりと霧に覆われてしまうこともあります。

地質学的な見解から見てみると、南九州から反時計回りに回転して吸収の菱側を分裂させている地殻変動が始まったことで、入り江あるいは低地が形成されるようになりました。続いて肥薩火山群の活動によってこの低地地形の西側が塞がれたことによって『古人吉湖』と呼ばれる湖が誕生することになったのです。この湖自体は約100万円前までに消失しているため、その後に残ったのがこの人吉盆地となっているのです。まさしく自然活動によって偶然誕生することになったこちらの地域ですが、盆地として構成されたここでの生活は古代人からすれば最高の環境だったのでしょう。そこに住むことで私達の先祖となる人たちもゆくゆくは林業を中心にした生産物を生み出したことによって一時期は全国から商品が押し寄せるほどまでに発展したというんですから、その影を見ることもなく衰退している姿は少しいたたまれなくなります。地理的なものと、その他の事を考えてもこれほど農作業を生産するという点において環境が恵まれているのは見過ごすことの出来ない良点ではないでしょうかと、私個人は考えています。

米焼酎の産地

こちらの人吉盆地ですが、全国的にも有数な米焼酎の山地となっています。もちろんお米を製造元にしたお酒となっているものです。焼酎が好きな人からすれば最高でしょうね。そしてそんな全国でも有数として言われている名産地として知られるようになった理由としても、やはりその豊かな水源が大きな理由となっています。多良木町の豊かな水流から少し話すことになりますがやはり盆地名産品の米焼酎のことを外すわけには行かないですから、少し米焼酎のことを書いていきましょう。

米焼酎は多良木町を含めた球磨地方に由来している伝統ある焼酎の一つとなっていて、焼酎ということもあって35~40度というかなり強いお酒となっています。お酒に飲みなれていない人からすれば間違いなく一口含んだら吹き出してしまいますね。その様子はまさしく血反吐を思わせるでしょうね。

飲み方としてはフラスコの胴に長い注ぎ口をつけたような酒器に入れて、五徳に掛けて温めて飲むそうです。お酒はたしなむ程度には飲めますが、そこまで強くない為、個人的にはそこまで頻繁に飲んでいるわけではないので、まだまだ焼酎を手にするのは程遠いでしょう。

多良木町にある酒造

伝統あるお酒ということで多良木町の人々もなじみの深いお酒であるといえるでしょう。もちろん、そんな多良木町にもきちんと米焼酎を作っている酒造が存在しています。その酒造というのが『株式会社 恒松酒造本店』でして、名産品として『焼酎 かなた』を中心としたお酒を販売しています。

こちらの恒松酒造は創業が大正6年という古き歴史を持っている老舗中の老舗となっています、酒造ともなればこれくらいの歴史がないと名産品としては語ることが許されないだろうと個人的に考えています。それから現代まで活動を続けていますがその中において主流商品ともなっている『かなた』が誕生したのは意外にも平成11年という今から14年ほど前に誕生しているのです。

焼酎というのは基本的にお湯割で飲む習慣がある中で、割らずにそのまま飲むことで焼酎ならではの香りと味のキレを実感して欲しいという願いから、『かなた』という言葉からゆったりとした時間と空間の広がりを連想して、遥か彼方に想いを馳せながら飲んでほしいといった願いをこめて、命名されたそうです。確かにいわれて見ればかなたという言葉にはそんな意味合いを感じてもおかしくないでしょう。時間も空間も関係ない場所を連想できるといえば出来るのかもしれないですね。

熊本といえば…
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